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運営者情報プロフィール
1980年 製造会社入社
1982年 営業の仕事を求めて食品会社に転職
1989年 建築関係一部上場企業に転職(営業職)
1990年 恩師の流通会社に転職
1994年 流通会社にて直営コンビニエンスの管理を担当
1996年 ビジネスホテル支配人としてスカウトされ転職
1998年 ビジネスホテルを退職。失業給付金を受給しながら就職活動開始
1999年 人材紹介所を通してレジャー施設運営会社へ転職
1999年 支配人としてレジャー施設1号店を立上げる
2005年 支配人としてレジャー施設2号店を立上げる
2006年 1号店、2号店に各支配人を儲け、総支配人となる
ざっと数えて5回の転職を経験しています。
その転職については、全て成功だと思っています。
その理由としては、
・ 収入が上がった
・ 地位が上がった
・ スキルが上がった
・ 人間関係が広がった
・ やりがいがあった
というような感じです。
最初の転職は、製造業から営業への転職でした。
もともと何をしたいという気持ちもなく就いた会社でしたが、仕事は非常に面白く、同期の中ではダントツで技術力を身に付けることが出来ました。
とくに大きな不満はありませんでしたが、
「外で自由に仕事がしてみたい」
「自分のお客様をもちたい」
という気持ちが強くなり、転職を決意しました。
営業・接客への目覚めだったのかもしれません。
営業職になってからあっという間にお客様と馴染むことが出来ました。
売上アップについては何も困ることはありませんでした。
しかし、問屋営業というのはメーカーに憧れる傾向があり、2回目の転職は大企業のメーカー営業への転職でした。
通常半年以上は売上のもてない職種でしたが、持ち前の営業力で 2ヶ月目には売上を作ることができました。
しかし、近くに経営者がいない会社に対して面白みを感じなくなり、転職を決意しました。
3回目の転職は、恩師より食品流通の会社を手伝わないかという誘いがあり、2〜3年間勉強させていただくという話で転職しました。
この会社に4年ほど勤めたとき、直営コンビニエンスで働いていた店長が突然退社することになりました。
急遽、全くの素人だった経営者の息子店長をバックアップしながらコンビニエンスの運営に携わることになりました。
昼は営業の仕事を行い、夕方から仮眠し、深夜に出勤という日も多くありました。
苦労のしたかいがあって、数字は見る見るうちに上がり、 会社の利益もうなぎ上りで増加しました。
この頃から自分の向いている仕事について考えるようになりました。
自分は、外に出てお客様と接する営業職が天職だという気持ちでしたが、いざ店つくりをしてみると、殆ど経験がなくても自然にやることが見えてきます。
もっとも分かりやすかったのは、
・ 店が見違えるように綺麗になる
・ 従業員に活気がでる
・ 物が売れる、売上が上がる
これは自分でも感じていましたが、同業者や第三者から非常に良く言われました。
・ 自分は一匹狼の営業マンだと思い込んでいたけど・・・
・ 自由に外へ出る仕事が一番だと思いっていたけど・・・
・ もしかしたら人をつかって店を運営する方が向いているのでは・・・?
これに目をつけてくれた人がいました。
勤務していた会社の経営者と知り合いで、建設業のかたわら所有地に建設したビジネスホテルを経営しているとい方でした。
「うちのホテルの支配人としてやってくれないか?」
コンビニエンスの運営も軌道にのり、スタッフも育成したので、ひとつの区切りとして、丁度この会社を退職するときでした。
ただ、既に人材紹介所を通して1件内定しておりました。
一方、このビジネスホテルは開業2年間で支配人が4人も変わっているというちょっと変わったビジネスホテルでした。
経営者の性質や歴代支配人の人選なども関係していたと思いますが、やはり心配です。
数回に渡りお断りをしましたが、
「2年間で良いから頼みたい!」
「必ず君に向いている仕事だと思う!」
結局これが4回目の転職となりました。
ホテル業なと全くの初心者でしたが、
「うちのホテルは、いつも綺麗で愛想の良いホテルにして欲しい!」
という経営者の希望は、まさに自分の得意分野でもありました。
1週間で前任の支配人から引継ぎをを受けましたが、ホテル業自体経験がなかったので、入社早々非常にハードな業務をこなす事となりました。
月曜日の朝出社して、木曜の夕方帰宅というハードな時期ありましたが、3ヶ月ほどで大よその建て直しが出来ました。
もちろん、短期間でリメイクしましたので、かなり厳しい指導も行いました。
私のやり方に、ついて来れるスタッフと、ついて来れないスタッフがいましたが、残ったメンバーと補充したメンバーは、全て活気あるスタッフばかりでした。
そして、月日が経つにつれ、厳しく指導したことに対して非常に感謝されるようになりました。
そして約束の2年を迎えたころから、ひとつの事にこだわるようになりました。
「コンビニエンス、ホテル、どちらもも良くなったけど、最初から自分がやっていたら?」
「他人の手がけた店を自分でリメイクするより、立ち上げから自分でやってみたい!」
そして、家族に同意してもらい、退職してじっくり仕事を探すことにしました。
当時の状況は、妻が勤めに出ており、子どもは9歳と11歳でした。
就職してからというもの、ほとんど欠勤するという経験がなかったので失業ということに対して非常に抵抗もありましたが、
「新しいものを始めるには充電期間も必要だ」と自分に言い聞かせ、失業給付金を受けながらの仕事探しが始まりました。
ハローワーク(3箇所)、求人雑誌、転職サイト、人材紹介所などの情報をチェックし、パソコンスクールとトレーニングジムに通い、家事も行うという状況でしたので、
失業者としては中々忙しい毎日でした。
収入面では、失業給付金と時々頼まれるヘルプ業務の収入がありましたので失業前とほぼ同じ収入を得ることは出来ていました。
しかし、予想以上に失業期間は続き、給付金の受給期間終了も徐々に迫ってきました。
この時期は非常に失業者が多く、圧倒的に求人数が少ないという状況でしたが、私は不安を抱いたり、臆病になることもなく、とにかく願いは叶うと信じていました。
一番の支えになったことは、人材紹介所のキャリアアドバイザーに適職診断をして頂き、「施設(店舗)管理者が一番活躍できます!」という太鼓判を押して頂いていた事です。
簡単なYes、Noのテストというようなものではなく、今までのキャリアやスキルを細かく診断していただいた上で、合致する職種をアドバイスして頂くというものです。
そして、そんなある日、人材紹介所の選任キャリアアドバイザーから声をかけられました。
「内藤さんにピッタリの企業からオファーがありました」
「先方の採用担当者とお会いする時間を作っていただけますか?」
レジャー施設の支配人で、開業3ヶ月前から勤務開始という内容でした。
施設の内容や役職が希望通りでしたので、即面談して先方より内定を頂きました。
そして、この話がきっかでリズムに乗ったようで、とんとん拍子に別の企業からもオファーがあり、人材紹介所を通して合計3社から内定を頂きました。
レジャー施設支配人の仕事は収入面では一番条件が低く、一番高い企業と比較すると年収で200万円以上の差がありました。
しかし、私の求めている条件を満たしていましたので目移りはしませんでした。
もちろん、選任キャリアアドバイザーの適職診断も決め手となりました。
そして私はこの企業に就職し、レジャー施設の開業を手がけることになりました。
この企業にとっても始めてのプロジェクトでありましたので、かなり苦しい時期もありましたが、最初から自分で作り上げる仕事でしたので、
非常に満足感がありました。
そして5年が経過し、2号店開業も担当することになりました。
現在、各店舗の総合管理という業務に携わっておりますので、正社員、派遣社員、パート、アルバイトを採用する採用担当者という立場にもなっています。
選任アドバイザーの適職診断、失業期間のモチベーション維持、仕事探しへの意気込みなど当時の経験があってからこそ、今の自分があるのだと思います。
あの失業期間は本当に良い充電期間でもありました。
基本的な考えとしては、失業期間なしで転職することが出来ればそれがベストだと思います。
私が経験してきた転職活動、失業期間の時間活用やモチベーション維持、そして現在採用担当者として業務の中で気づいた点などをお伝えすることで、サイト訪問者が一人でも多く転職に成功出来ることを願います。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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『適職診断で大成功!これが最後の退職願い!』 管理人/内藤